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単なる僻みなんだろうけど。 [雑記&愚痴]

自分だけ違うというのはすごく辛い。
ただ話がついていけない、ならまだ浅いからしょうがないですむ。
マニアックな話についていけずに置いてきぼりを食らったこともたびたびあるからそれも仕方ないで割り切れる。
しかし、メールで画像を送ることで共有する場合、僕だけ見れないから言いようのない孤立を募らせる。
所詮よそ者。おまけでしかない。
だから本当は誰も自分のこと友達なんだと思っていないんじゃないんじゃないかって思ってしまう。
今の話は一番最近あった一例にすぎなくて、そういう些細なことで結構ぐさりと来ることがここ二週間ほど続いている。
だからこの前の記事のタイトルが「袋小路」だったり「不安しか募らない」だったりなんだったりするわけで。
そんな中で小学校の友達から、やはり自分だけがこう思っちゃうんじゃないかって言う話を持ちかけられたから、自分も彼女に打ち明けたんだ。
本当は誰も自分のこと友達だと思っていないんじゃないかって不安になるんだって。
実は上に書かれたエピソードが引き金となって、昨日ものすごく不安が爆発していたりする。
わからないのはしょうがない。
でもどうしても埋めようのない溝を実感して、自分だけ違うんだって悟る瞬間は怖い以外の何物でもない。
自分なんかいなくてもいいんだって思うから。
おかしいなぁ、さっきまで何ともなかったんだけれど、急に涙が出てきた。
たぶんこれが防衛手段なんだろう。
自分の中で感情部分が切り離されているんだろうなぁって時々感じる。
昔、高校時代、連絡網が回ってきたとき、沈痛な表情を浮かべているつもりなのに、親からはそんな笑った顔をしたら不謹慎だって怒られたことがある。
(高校時代の友達のために補足すると某先生の身内の不幸の連絡です)
自分では笑っているつもりなんて全くなかったから、親に電話でよかったねと言われた時はびっくり以外の何物でもありませんでした。
でもたぶん、すごくショックを受けていたのだと思います。
とりあえず、話を戻すとして、涙が出てきたってことはそれだけ今回の不安の大部分を占めていることなんだと思います。
自分はあくまでもおまけ。楽しく過ごさせてもらっているだけ。
たぶん、そうなんだろう。
もし俺たちのこと?って思っている方が読者にいましたら、お願いします。
おまけなんて思っていないって言わないでください。
だってそうしたらどんな顔すればいいのかわからないから。
だったら輪に入れてよって泣けばいいのか、友達だって言ってくれたことに喜べばいいのか。
たぶん、感情のほうの自分は奥に引っ込んだまま面喰ってどうもと言うだけにとどまるのでしょう。
まぁ、五月雨が最年少で一番餓鬼だからこその僻みというのもあるのでしょう。
でも、書いていて、つまり、変わらない安心できる場所って言うのをずっと持っていなかったんだなっても思う。
だからちょっとのことで不安になる。
地雷なんて、たくさんある。
本当に些細なことでどん底をさまようことなんて、もう日常的すぎて数えきれない。
今日は一時間歩きとおして、その間は何ともなく、そのあと某所で歯ブラシとその周辺のものを物色してやたらと楽しんだけれど、気分転換できたかなって思ったその瞬間に不安が押し寄せてきた。
あのまま永遠に封じてしまえばよかったんだ。
思い返すからまた不安が戻ってくるんだ。
昨日・今日と二日連続で薬飲んだけれど、たぶん明日も薬飲むことになるでしょう。
薬が効いていないから飲み続けたというよりも、効いたからこそ僻んでいるんだって自分内で結論がついたんだと思う。
もう何度か繰り返し書いているけれど、自分の感情が分からない。
自分が何を思い何を苦痛とし、何をしたいのかが分からない。
わからないからこそ、周りが心配になることを平然とやってのける。
だって、体の悲鳴を受け取る機関なんてとっくの昔に機能していないか伝えてこなくなっているんだもん。
痛くなって、過呼吸を起こして、涙が出てきて初めて、何か障ったものがあるんだなって気付く。
それがない間は大丈夫なんだって思っている。思うしかない。
体調がいいか悪いかなんて自分じゃわからないんだから。
わからないものをマイナスにとらえていたら何もできなくなってしまう。
だから、自分の体を労らない五月雨を、周りが止めるしかなくなるわけで。
労わっていないのはいつも痛めて動けなくなってから後悔しています。
後悔はいくらでもする。けれど反省に活かされることはない。
自分のことを二の次にしてきたから、こうやってわがままを書くことなんて本当に最近のこと。
(と言ってももう数年あるんだけどねぇー……)
昨日ツイッターにも書いたけれど、何か書いていないと不安で押しつぶされそうな気がするようになってしまったから。
もう、跳ね返すだけの力なんてないのかな。どうなんだろう。
昨日のツイッターって言ったら、k(殴)とか書いたのもあったけれど、小さいころから本当に変わっていない。
つい最近では「もういやだ」な記事を書いたけれど、あの頃から考えはほとんど変わっていない。
怖くて一歩も踏み出せず、誰かkoroshiteくれたらいいのにってずっと思っている。
高二になってからこの考えは徐々に姿を消したけれど、それでも時々突発的に湧きあがってくる。
もう何が何なのか文章が分からなくなってきたね。
でもそれが現状なのです。
何か書かなきゃ気が済まない。だからいくらでも書き続ける。
しかしまっとうな思考は機能していないから創作活動なんてできるわけがない。
そして今は不安状態が続いている。
一応今日は薬を飲んだので改善はしていて、『不安』に『僻み』という名前まで付けられるようになって『僻み』で処理している。
だから大丈夫。きっと大丈夫。
ただ、週末、どのように過ごすのかは分からない。
どこも大丈夫じゃないだろって言われそうな過ごし方をしているかもしれない。
でもかまわれたがりのさびしがりなので、自ら自分を苦しめる方法をとるのが濃厚説。

ほかにもやりたいこと・やらなきゃならないことがたくさんあるのでこのあたりで強制終了する。
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